はじめました!

by Kenta Shimojima : @shimojik

知識や思考の価値

知識や思考には想いがある。

知識を蓄えるのにも、思考するのにも、エネルギーが要るので、そのエネルギーを越える想い、情熱、ビジョンが要る。

そしてそのエネルギーとともに、時間も必要であることは忘れてはいけない。

知識にも思考にも、時間とエネルギーという多大なコストが必要だ。

知識や思考に向き合ってないと、このコストが意識されず、知識も思考もただの便利なものとして扱ってしまう。

知識も思考もマジックではない。

何か新しい価値を生みだすには、知識と思考、そしてエネルギーとなる想い、情熱、ビジョンが必要。

だからこそ、想い、情熱、ビジョンはもちろん、知識、思考にかかったコストを尊重することを前提とした空気が大事であり、その空気の中でこそ自分とまっすぐ向き合ってクリエイティブに集中できると思う。

情報は知識と違い、コストがほとんどかからないので、この2つの差はとても大きい。
情報は知識から出てくるものであり、言い方を変えると情報は知識の一部である。

こういう話をすると、プロセスより結果が大事という意見が出てくるが、それは確かにある意味正しい。
(細かいが、知識には情報も含まれるので、プロセスを伴う結果(知識)より、結果そのもの(情報、テクニック、ノウハウ)の方が大事だという比較が正確)

しかし少なくとも、家族、友人、チームなどの横並びの関係においては、結果を尊重するのは主観であるべきではないか?
つまり、結果(情報)が大事だと思うのは、取り組んだ本人が思うことであり、それを評価する側はプロセス(知識およびそれにかかったエネルギーと時間)も評価するべきではないか?

チームづくりについて考えていて、ふとそんなことを思いました:D
人の仕事を部分的に自分の仕事にしたり、人から聞いた情報を自分の知識のように話すというのは、いろんなところで見かけますが、やっぱりそういうのは、想いがもともと強い分、本人にばれますし、そうなると上流から水が流れてこなくなるので、自分の首をしめるだけになる気がします。

僕は何かの話を引用するときはできる限りソースを提示するように心がけています。
それは、ピュアに「これはあの人の分、これは自分の分」と正確に線引きすること、「この情報は誰からの分、あの情報は自分からの分」と正確に線引きすることは、自分を真に強くすると思っているからです。

ピュアにというのは、自分に有利になるようにうまいのとやろうと考えずに、純粋無垢な気持ちでということ。
まぁお互いを大事にし合う、尊重し合うというだけのことなんですが。

そう自分がすることで、周りも安心して知識、思考、想い、情熱、ビジョンを共有できる空間が出来ていくんじゃないかなと思います。